2020年 7月 4日 (土)

死去の中曽根康弘氏、101年の生涯 青年将校から風見鶏、大勲位、そして「暮れてなお命の限り蝉しぐれ」の心境へ

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読売新聞の渡辺恒雄氏とは盟友関係

   代議士になりたてのころ、読売新聞の中興の祖で、科学技術庁の長官も務めた正力松太郎氏と関係を深め、日本の原子力政策を積極的に推進。議員立法で8本の原子力法体系などを成立させた。初入閣も科学技術庁長官。読売新聞政治部の若手記者だった渡辺恒雄氏はこのころ、正力氏の指示で、中曽根氏と知り合った。

   「当時の基準だと、私はハト派。対する中曽根さんは『憲法改正の歌』などを作る超タカ派だったから、心情的に会う気になれなかった」(『渡邉恒雄 私の履歴書』、日本経済新聞社)。しかし会ってみると、「政治家には珍しい読書家で歴史、政治、哲学と知識も該博」「すぐに打ち解けて親しくなった」。

   その後の中曽根-渡辺の蜜月ぶりは有名で、首相当時は「毎日のように電話で話をしていたから、読売新聞の社説と中曽根内閣の政策が対立することはほとんどなかった」(渡辺氏)

   NHK会長だった島桂次氏は中曽根政権時代、2か月に1度ぐらい公邸に呼びつけられた。著書『シマゲジ風雲録 放送と権力・40年』(文藝春秋、95年刊)によると、こんな感じだ。

    「(中曽根首相は)『島君、最近のニュース番組などには、いろいろ問題があるじゃないか。政府に不利なことをやりすぎる傾向がある』と言って、分厚い紙の束を取り出す。NHKのニュースを文字におこししたもので、気に入らない部分にはアンダーラインが引いてあった・・・『この報道は一方的だ』」。そして読売の社説を掲げながら、よくこう言った。「島君、読売の論調は素晴らしいね。渡辺君は、なかなかよくやってくれている。各新聞社の首脳にも、これを回覧して読ませたいくらいだ。NHKも、おおいにこれを参考にしたまえ」

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