2020年 8月 15日 (土)

震災、台風...困難から立ち上がり続ける「釜石」に、何を学ぶか【震災9年 東北と復興五輪(最終回)】

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「ラグビーの街」市民にとってのプライド

   震災から立ち上がった釜石の姿を、フィジー―ウルグアイ戦で見せることができた。ところが10月13日のナミビア―カナダ戦は台風19号の影響で「幻の一戦」となった。市民の落胆は、大きかった。

   だが心温まる出来事も。カナダ代表選手が釜石市内の浸水した住宅地に足を運び、泥かきや汚れた家財の運び出しといったボランティアを買って出たのだ。「釜石のためにぜひ」と、市側に申し出があったのだという。「ラグビーの素晴らしい精神」として大きな感動を呼んだ。

   この話には続きがある。作業を終えたカナダチームが宝来館に立ち寄ったのだ。岩崎さんはじめラグビーファンはカナダ国歌を歌い、大漁旗を降って出迎えた。予期せぬ歓迎に選手らは大喜び。試合は中止となったが、W杯の別の良さを選手、ファン双方が共有した。

   W杯開催地の中で釜石は、最も規模が小さな街だった。ファンゾーンには開催期間中、市の人口3万3000人を上回る約3万7000人が訪れた。国内からはもちろん、欧州やニュージーランド、オーストラリアといった海外からもファンが詰めかけた。震災の経緯を知り、「釜石を訪れることが復興につながる」と考える人は少なくなかった。

「ラグビーを通して、街の価値を再認識しました」

   市内でホタテやワカメの加工販売を手掛ける「ヤマキイチ商店」専務・君ヶ洞剛一さんは、こう話す。震災では津波で店舗や水産物加工場などを失った。そこから再建し、現在はブランド「泳ぐホタテ」を国内外の有名店に卸す。

   社会人ラグビー・新日鉄釜石の日本選手権7連覇は1978~84年で、若い世代にその記憶はない。街は1989年、新日鉄釜石製鉄所の高炉が休止。震災が人口減少に拍車をかけた。それでも、ラグビー日本代表選手は「釜石は聖地」と口にし、W杯では大勢のファンが集った。

「『V7』がなかったら...。やっぱり釜石はラグビーの街なんだなと。これは市民にとってのプライドであり、ラグビーを軸に人の縁が生まれる。W杯では、こんなことを感じられました」(君ヶ洞さん)
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