2024年 4月 27日 (土)

外岡秀俊の「コロナ21世紀の問い」(42)政治学者、宮本太郎氏と考える福祉のこれから

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   この30年の福祉改革の在り方を問う本が今年、コロナ禍のさなかに刊行された。「貧困・介護・育児の政治ベーシックアセットの福祉国家へ」(朝日新聞出版)だ。コロナ禍が浮き彫りにした福祉の脆弱さやひずみを、今後どう乗り越えるべきか。著者の宮本太郎・中央大学法学部教授(福祉政策論)と考える。

  •                   (マンガ:山井教雄)
                      (マンガ:山井教雄)
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過去30年の福祉改革と3つの政治潮流

   福祉について、制度を詳述する解説本や実務本は数多いが、その全体像をつかむことは意外に難しい。制度が余りに複雑多岐にわたるうえ、時代の変化や財政事情に応じて次々に改変されてきたからだ。

   例えていえば、次々に建て増しや改築を重ねた結果、そこで暮らすら住人すら、どこに目指す部屋があり、どんな順路をたどれば行き着けるのかもわからない、迷宮のような屋敷になっている。

   とりわけこの30年余りは、「財政」と並んで「福祉」が最優先の政治課題となったため、政権与党は次々に「改革」の手を打ってきた。だが、消費税増税の大義として打ち出された当初の政策理念はすぐに色あせ、財政当局の要求で支出は削減され、後退していった。この国に「社会民主主義」は根づかず、「新自由主義」に道を譲ったのか。あるいはそもそも、製造業が空洞化し、少子高齢化が進むこの国で、「社会民主主義」を唱えること自体、見果てぬ夢だったのか。

   だが、この30年余りの福祉改革の是非を、一刀両断に論じることはできない。改革の理念はどこにあり、さまざまな政治力学が働いた結果、どこまで理念を達成し、どこに限界があったのか。「福祉政治」の第一人者で、歴代政権にも積極的に提言してきたのが、この本の著者、宮本太郎さんだ。2021年6月28日、ZOOMで宮本さんに話をうかがった。

   この30年余の「福祉改革」を総括するにあたって、宮本さんは次の三つの政治潮流をキーワードにして政治過程を分析する。

 (1)例外状況の社会民主主義
 (2)磁力としての新自由主義
 (3)日常的現実としての保守主義

   これは、福祉国家の在り方を決めてきた三つの基本的な立場だ。だが日本では、この立場が政党ごとに分かれるのではなく、各政党ごとに混在し、それに各省庁や関連団体の利害も絡んで、対立の構図は極めて分かりにくかった。そこで宮本さんは、三つの立場によって福祉改革の結果を評価するのではなく。それぞれの潮流がどう影響して「貧困・介護・育児」の改革が実現したのかを、実証的に分析する手法を取った。つまりこの三つの概念を使って、福祉改革を動態的に解明したといえるだろう。

   その成果を、あえて単純化して要約すれば、この30年余りの「福祉改革」には、次のようなパターンが読み取れる。

(1)例外状況の社会民主主義

   日本では、政権交代など政治的な例外状況において、社会民主主義的な福祉の強化政策が受け容れられる。

   介護保険制度が実現したのは、1993年に非自民連立政権ができ、その後自・社・さきがけの連立政権に移行する流動的な状況下だった。

   育児の分野で子ども・子育て新支援制度が、貧困分野で生活困窮者自立支援制度が生み出されたのも、2009~12年にかけ、民主党と自民党の政権交代が繰り返される流動的な状況下だった。

   社会民主主義的な政策が実現したのは、財務省が少なくとも新制度の導入に反対しなかったためだ。介護保険導入時には、消費税を3%から5%に、子ども・子育て支援新制度の導入時には消費税をさらに10%に増税する時期に当たっていた。つまり財務省には、こうした福祉改革を増税の切り札にしようという思惑があり、その限りにおいて政権や厚生労働省と折り合い、提携することになった。その意味で日本における「例外状況の社会民主主義」は、政党政治が流動化する過程で、財務省と厚労省が連携して取り組む改革案ということができる。

(2)磁力としての新自由主義

   いったん制度が導入され、政治が相対的に安定すると、財政当局は支出抑制に舵を切り、新自由主義的な圧力が復調する。これは、市場原理を絶対視する「新自由主義者」が席捲するという意味ではない。表向きは「新自由主義」をうたわなくても、制度の運用にあたって、鉄粉が磁石に引き寄せられるように、新自由主義的な方向をたどってしまう、ということだ。この「磁力」の源泉は「新自由主義」というイデオロギーではなく、「少子高齢化のなかで累積する国と地方の長期債務」「社会保障制度と税制へ有権者の不信・高負担感」などにある、と著者はいう。こうした要因が重なると、新自由主義の信奉者でなくても、そのように振る舞わざるを得ないような磁力が働く。つまり、財政その他の懐事情や制度への不信などが相まって、当初の制度設計を弱める方向に圧力がかかり、理念が後退する過程といってもいいだろう。

(3)日常的現実としての保守主義

   こうしてコスト削減への圧力が働くと、自助と家族の助け合いで困難を切り抜けるしかない、という保守主義が顔をのぞかせる。これも、イデオロギーというよりは、新たな制度ができても、十分な給付を得ることができないため、最後は自助か家族に頼るしかない、という「日常的現実」としての保守主義だ。

   介護制度ができても、学業を犠牲にして介護を担う「ヤングケアラー」や「老老介護」さらには認知症同士が介護の当事者になる「認認介護」などが、こうした「日常的な現実」の例だ。著者はさらに、2015年に子ども・子育て支援新制度が実施になったにもかかわらず、翌年には「保育園落ちた日本死ね」というブログが国会で取り上げられ、流行語になったことも、「日常としての保守主義」への回帰の例としてあげる。

   こうして自助頼み、家族依存が日常化すると、税や福祉制度への不信が募り、さらに「磁力としての新自由主義」の潮流を強める負のサイクルが始まり、「社会民主主義」の理念は一層薄れていくことになる。

   なぜこうした三つの潮流で、近年の福祉改革を解明しようとなさったのか。宮本さんへのインタビューはその動機を尋ねることから始まった。

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