元西武・中島宏之氏は、なぜ米国で通用しなかったのか 大リーグ挑戦も出場なし...本人が明かした挫折の理由

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「WBCがあって、声をかけてもらっていたが...」

    「キャンプに入ったらすぐに、ちょっとした実戦の試合になるから、これは打てないと思いました。はじめピッチャーが投げて、(自分が)バッターボックスに入って、『(バットを)振らなくてもいいよ』みたいな感じだった。『打ちたかったら打ってもいいし』みたいな。それが2回くらいあった。でも、すぐその後から試合になったので...急に試合の球がきたら打てない」

    12年12月18日にアスレチックスと契約し、13年1月上旬に渡米。チームのキャンプ地であるアリゾナ入りし、チームの施設でトレーニングを積んだという。

    中島氏は「(周りの選手は)めっちゃ早く打っているわけでもないから、どうしているのかなと思っていた」と切り出し、こう続けた。

    「ちょうどその時、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック13年大会)があって、声をかけてもらっていたが、『早くアメリカのチームのところに行って慣れたいので』ということで、アリゾナに行った。そっちに(WBCに)出させてもらった方が、実戦でやれたかもしれなかった」

    レギュラーシーズンに入る前の段階で、早くもつまずいた中島氏。真面目な性格が裏目に出たという。

    「早くチームに行かなくてはいけないのかと思っていたら、それ(WBC)に出ている選手もいて、後からチームに合流していた。契約が後から決まった選手もいる。スタートの時点でいない選手もいた。そんなんでもよかったんだなと。早めに行って慣れとかないと思って。練習はできたが、実戦ができなかった」

    中島氏は日本球界復帰後、オリックス、巨人、中日でプレーし、24年シーズンを最後に現役引退した。日本では、通算1928本の安打を記録。惜しくも2000本安打に届かなかった。

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