誰が誤解を招いたのか
この「誤解を招く」「誤解を与える」という表現に、十分な謝罪の意を感じないのは、主語が不在であることが大きな理由だろう。
そもそも、「誤解を招いた」というのは、誰が「招いた」のかが不明瞭だ。
「表現が誤解を招いた」とするなら、その表現を選んだのは誰なのか。
たしかに日本語は主語を省略しやすい言語だが、謝罪文における主語の省略は、責任の所在をあいまいにする働きを持つ。
さらに「誤解を招いた」とすることで、問題の原因を自分の意図ではなく「他者の理解」や「状況の受け止め方」に転嫁できてしまう。
言い換えれば、「あなたが誤解したのなら、それは残念だ」というニュアンスを含んでいるのだ。
この構造が、「謝罪のようで謝罪でない」印象を生み出しているのである。