原発事故で避難指示「2、3日で帰れる」はずが 住み慣れた家を離れた15年前のあの日 #知り続ける

   2026年は1月から、異例の「真冬の衆院選」となった。主要政党が打ち出した公約では、消費税減税など経済政策が目立った一方、エネルギー政策は争点とならなかった。

   11年3月11日の東日本大震災と、東京電力福島第一原発の事故。福島県内の複数の自治体は住民に避難指示を出した。数日で帰れるはずが、何年も帰還できなくなった地域もある。15年の歳月が流れた今、地元を離れざるを得なかった人たちの声に耳を傾けた。

  • 浪江町津島地区にあった診療所。当時の建物は残ったままとなっている(2025年2月撮影)
    浪江町津島地区にあった診療所。当時の建物は残ったままとなっている(2025年2月撮影)
  • 原発事故後、帰還困難区域に指定された場所は少なくなかった。写真は福島県富岡町(2019年3月撮影)
    原発事故後、帰還困難区域に指定された場所は少なくなかった。写真は福島県富岡町(2019年3月撮影)
  • 原発が立地していた福島県双葉町の住民は事故直後、町全体がさいたま市へ避難した(写真:Christopher Jue/アフロ)
    原発が立地していた福島県双葉町の住民は事故直後、町全体がさいたま市へ避難した(写真:Christopher Jue/アフロ)
  • 浪江町津島地区にあった診療所。当時の建物は残ったままとなっている(2025年2月撮影)
  • 原発事故後、帰還困難区域に指定された場所は少なくなかった。写真は福島県富岡町(2019年3月撮影)
  • 原発が立地していた福島県双葉町の住民は事故直後、町全体がさいたま市へ避難した(写真:Christopher Jue/アフロ)

「軽トラックが、荷台に人を乗せて山のほうへ」

   福島県浪江町。原発事故後、「全町避難」が指示された。居住制限区域は事故から6年後の17年3月31日、帰還困難区域は「特定復興再生拠点区域」のみ23年3月31日にようやく、指示は解除。だが現在、町内に居住する人は2200人で、震災前の人口2万1500人の約10分の1に過ぎない。

   町内で時計店を営んでいた佐藤勇男さんは、仕事中に被災した。しばらくして、店の前の道路で異様な光景を目にする。

「軽トラックが、荷台に人を乗せて山のほうへ走っていく。いったい、なんだろうと」

   津波から逃げてきた人たちと、後で分かった。佐藤さんの店は町中で、津波が押し寄せた事実を知らなかったのだ。

   その夜は自宅で過ごしたが、翌朝早くパトカーが巡回してきたのに出くわす。警官は防護服姿で、ただ事ではない雰囲気を漂わせ「逃げてください」と繰り返した。佐藤さんはこの時、原発が深刻な事態に陥っているとは思いもよらなかった。

   根本洋子さんは同じく地震発生の翌朝、住まいのある地区の区長に避難するよう言われたという。「『2、3日で帰れると思うから』と言われたんですが...」と当時を振り返る。

   一方、根岸きくえさんの場合、避難の呼びかけは聞こえてこなかった。電気も水道も使えたので自宅にいたが、「どうも様子がおかしい」と3月12日夕方、娘が町役場に行ったところ誰もおらず、家を離れた頃は既にほとんどの町民が避難したあとだったという。

   このように、同じ町内でも住んでいた場所や状況によって、発災から避難までの経緯はそれぞれ違っていた。

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