原発事故で避難指示「2、3日で帰れる」はずが 住み慣れた家を離れた15年前のあの日 #知り続ける

放射性物質の飛散を知らされず

   三人とも、最初の避難先は町の北西部・津島地区だった。のちに発覚するが、津島には放射性物質が飛散していた。今日に至るまで、大部分が帰還困難区域のままとなっている。

「食事が配られる際は、外で並んで待たなければなりませんでした。放射能のことなど知らされず、孫が外で友達と一緒に食べたりして......被ばくが心配になりました」

   詩人である根本さん。「みうらひろこ」の名で出した詩集『ふらここの涙―九年目のふくしま浜通り』(コールサック社)に、こんな一節がある。当時の景色を詠んだものだ。

「私と遊んだ子供達は
どこで暮らしているのでしょう
すっかり大きくなった子供達の
心の中に
私と遊んだ記憶が
ふるさとの悲しい思い出と共に
揺れているのでしょうか」

   津島から三人は、それぞれ別の場所へと移る。根本さんは実家のある福島市から相馬市に。佐藤さんと根岸さんは早々に津島を離れ、佐藤さんは新地町から霊山を経て、岳温泉にしばらく滞在。根岸さんは息子の住む栃木、さらに東京へと移った。

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