原発事故で避難指示「2、3日で帰れる」はずが 住み慣れた家を離れた15年前のあの日 #知り続ける

原発建設で潤ったのも確か

   原発事故に翻弄された、福島の人々。一方で原発の立地する地域は事故が起きるまでは「潤ったのも確か」と、佐藤さんは振り返る。

   震災前、東京電力福島第一原発の関連の仕事に就いた地元民は、少なくない。原発建設にあたって周辺地域には飲食店が増え、すし店には大量の注文が舞い込んだそうだ。

   農業をやめて東電や関連会社に就職した人も、少なくなかったという。「給料が桁違いでした」。

   だが佐藤さんは、自身の被災体験からこうも話す。

「失ったものは、お金には変えられません」

   震災前、親戚縁者としばしば集まって楽しい時間を過ごした。200人ほどの大所帯になることもあった。浪江が全町避難となり、バラバラになってしまった結果、親戚との密なコミュニケーションは途絶えた。佐藤さん自身、現在は新地町在住で浪江に住んでいない。

「浪江で生まれたのだから、浪江で終わりたい」

との気持ちがあるという。

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