ニュースの死角、飛び込んできたテレビレポーターはすぐ帰る
こんな話は、本来ならば全国紙にルポとして掲載されるはず、だと思う。
当地は、旧新潟3区。田中角栄の地盤である。南魚沼市の中心部、旧六日町には全国紙の腕っこきの記者たちが駐在してきた。
残念ながら、メディアの激変で、全国紙はすべて撤退した。新潟県南部の長岡市に拠点を置いて最大100キロも離れた場所までが取材範囲となり、地域の息遣いに触れる取材は出来なくなっている。テレビ局も、昨今の米騒動で、「農家さんの声」を取材には来るが、飛び込んできたレポーターさんがインタビューして、それで帰っていく。
記者が日々人々の生活空間に身を置いていれば、自然と出来上がる人の輪を通じて、上記のような経過と状況は、直接証言をもとにした記事になっていったはずだ。
短期の視点ではなく、なぜ「米不足」やら「令和の米騒動」というものが発生したのか。その根っこの部分が分かるはずだろうに、と思う。
断片的な情報は、フェイスブックやらXやらのSNSにはあふれている。丁寧にフォローするネットワークを、デジタル環境にも構築しておけば、大きな流れを把握することが出来るだろうに、とも思う。